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浦和地方裁判所 平成2年(ワ)756号 判決 1992年1月28日

反訴原告

楠生富佐

反訴被告

佐羽内彰

主文

反訴被告は反訴原告に対し、金二三一万六八八五円と、うち金二二一万六八八五円に対する昭和五八年一〇月一六日から右支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

反訴原告のその余の反訴請求を棄却する。

反訴費用はこれを五分し、その一を反訴被告の、その余を反訴原告の負担とする。

この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(反訴請求の趣旨)

一  反訴被告は反訴原告に対し、一七六三万八八二五円と、うち一六六三万八八五五円に対する昭和五八年一〇月一六日から右支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴費用は反訴被告の負担とする。

(反訴請求の趣旨に対する答弁)

一  反訴原告の反訴請求を棄却する。

二  反訴費用は反訴原告の負担とする。

第二当事者の主張

(反訴請求原因)

一  交通事故の発生

反訴原告は昭和五八年一〇月一六日午後一時五〇分ころ、埼玉県川口市大字小谷場五〇九番地先路上において普通乗用自動車を運転中、反訴被告運転の普通乗用自動車(大宮五八ぬ三七一号)に追突され、頸椎捻挫、腰椎捻挫等の傷害を負つた。

二  責任原因

反訴被告は自動車損害賠償保障法三条の運行供用者である。

三  損害

反訴原告は本件交通事故によつて次の損害を受けた。

1 治療費

(一) 治水堂斎藤病院の治療費(昭和58年10月16日~同年11月16日) 五九万〇〇七〇円

(二) 川口市民病院、川口総合病院の治療費(同年11月24日~同62年11月30日) 一〇七万一五九六円

2 マツサージ費用(同58年12月6日~平成2年6月30日) 八五七万六六〇〇円

3 温泉治療費(昭和59年4月29日~同年5月10日) 一〇万〇〇〇〇円

4 水泳治療による入会金と会費(同62年3月~平成2年12月)

反訴原告は水泳クラブに入会したが、その入会金は二万円であり、その後、平成二年十二月末まで、月額会費七〇〇〇円の他、協力費として年一万円を必要とした。

四五万六〇〇〇円

5 看護及び家政婦費用(昭和58年10月17日~同61年12月31日)

反訴原告は、入院中、看護を必要とし、また退院後も、家事労働ができないため家政婦をやとうことになつた。

一一一九万七六九一円

6 休業補償(昭和58年10月16日~同61年12月31日)

反訴原告は本件事故前、露天商柴田昭夫方に勤務して月三九万円の収入を得ていたが、右受傷のため、昭和五八年一〇月一六日から同六一年一二月三一日まで休業した。

一五〇一万五〇〇〇円

7 後遺症による逸失利益

反訴原告の症状は昭和六一年一二月末に固定したものの、いわゆる鞭打ちによる後遺障害(一四級一〇級)が残り、マツサージや水泳治療を受けながらでないと家事労働ができない状態である。

原告は事故当時四六歳であつたから、そこで、昭和六二年から平成二年までの三年間、四六歳の女子労働者の月間平均賃金一八万五一〇〇円の五パーセントの割合による逸失利益があつたと認めるべきである。

三二万八五〇〇円

8 慰謝料(傷害による) 三〇〇万〇〇〇〇円

9 慰謝料(後遺症) 七五万〇〇〇〇円

10 弁護士費用 一〇〇万〇〇〇〇円

(合計 四二〇八万五四五七円)

四  反訴被告の不払い

しかし反訴被告は、右損害について、

1 1の殆どを支払つたが、しかし、反訴原告が川口総合病院に通院した際の治療費のうち、昭和六二年一一月二一日、同月二八日及び同月三〇日の三回にわたつて治療を受けたその治療費六四九〇円を支払わない。

2 2のうち、半額の五万円のみを支払つたが、残りの半額を支払わない。

3 3のうち、昭和五八年一二月五日以前にかかつた三七五万円を支払つたものの、その後平成二年六月三〇日までに要したマツサージ費用四八二万六六〇〇円を支払わない。

4 4についてはその全額を支払わない。

5 5のうち、一〇五五万八三一六円の支払いは受けたが、昭和六一年八月一七日から同年九月末日までの家政婦代(辛島昭子)四八万九三七五円と、同年一〇月一日から同年一二月末日までの家政婦代(渡辺貞子)一五万円、合計六三万九三七五円を支払わない。

6 6のうち、七三〇万四五四〇円の支払いを受けたが、残りの七七一万〇四六〇円を支払わない。

7 7ないし10についてはその全額を支払わない。

五  結論

よつて反訴原告は反訴被告に対し、右支払金全額の一七六八万八八二五円と、これから弁護士費用を除いた一六六三万八八二五円に対する不法行為の日の昭和五八年一〇月一六日から右支払済まで年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。

(反訴請求原因に対する認否)

一  反訴請求原因一は認める。

二  同二は認める。

三  同三の1ないし10について、その損害金額は不知、かかる損害との相当因果関係がある旨の主張については争う。

1 反訴原告の受傷程度は、骨の異常や推間板の損傷を伴わない、単純な打撲、捻挫型の頸椎損傷にすぎない。また反訴原告の愁訴はいずれも自覚症状のみに止まつている。

2 反訴原告に一四級一〇級の後遺症があることは認めるが、その症状固定時期は、本件事故後二年した昭和六〇年一二月ころとみられ、これと異なる反訴原告の主張は理由がない。

3 反訴原告において家事労働がまつたくできないとは思えない。

仮にその事実が認められるとしても、請求は過大であり、その休業損害の算定にあたつては年齢別平均賃金が用いられるべきである。

4 損害中の、マツサージ費、温泉治療費、水泳クラブ代などは、本件交通事故との相当因果関係が認められない。

四  同四のうち、反訴被告が支払つたとする部分は援用するが、その余は争う。

五  同五は争う。

第三証拠

本件証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に各記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  交通事故と被告の責任

1  反訴請求原因一、二については当事者間に争いがない。

2  そして、本件事故の態様をみると、成立につき当事者間に争いのない甲第三号証の一、弁論の全趣旨から成立を認める甲第六号証及び反訴原告本人尋問の結果によれば、それはいわゆる玉つき事故と呼ばれるもので、反訴原告は乗用車を運転中、前方信号機が赤を示していることから、前の車に続いて停止しようと、時速を約二〇キロメートルにおとしたところ、反訴被告が運転する乗用車に追突され、さらにその際の衝撃で、自車を前の車に追突させたというものである。反訴被告の走行速度については確たる証拠がないが、前出各証拠によれば、反訴原告が運転していた乗用車は、本件事故のため、後部バンパーの中央部が凹んだうえ、トランクの蓋がわずかに上方に湾曲した状態になつたこと、また前部バンパーは全体に取付け角度が変わり、やや上向き状態に変形していることも認められ、他に右認定に反する証拠はないことからすると、相当程度の速度は出ていたものであることが認められる。

二  反訴原告の受傷と治療経過

1  成立につき当事者間に争いのない甲第一号証の一ないし三、第二号証の一ないし四、第三号証の二ないし一二七、第四号証の一ないし六四、乙第一ないし三号証、第五号証、第七ないし一三号証、第二〇号証の一、原本の存在および成立につき当事者間に争いのない甲第五号証の一ないし二五、反訴原告本人尋問の結果により原本の存在および成立を認める乙第二一号証の一ないし一九、同結果により成立が認められる乙第二四ないし二六号証、第二七号証の一ないし一〇、前出甲第三号証の一、証人尾原義悦の証言及び反訴原告本人尋問の結果とを総合すると、反訴原告の症状とその治療経過等は次のようなものであつたと認められる。他に右認定に反する証拠はない。

(一)  反訴原告の入通院

(1) 反訴原告(昭和一五年九月二二日生)は、交通事故当日の同五八年一〇月一六日に治水堂斎藤病院(以下「斎藤病院」という。)の診断を受け、同日、斎藤病院に入院したが、翌月の一一月六日に退院した。

退院するについて、斎藤病院からは「今退院すると責任はとれませんよ」と注意されたが、反訴原告はあえて退院し、しかもその後に二度通院したのみで、同月一六日の通院を最後に通院しなくなつた。

(2) 反訴原告は同年一一月二四日に川口市民病院(整形外科)の診察を受け、以後、週に二回程度の割合で通院、治療を受けるようになつた。川口市民病院への転院は、斎藤病院の指示によるものではなく、反訴原告側の自主的な判断によるものである。

また、反訴原告は川口市民病院に通院中の同年一二月六日から翌五九年二月二〇日まで、戸田市の山森昭斉医師からも治療を受けており、その治療実日数は延べ三六日に及んでいる。

(3) 川口市民病院は同年四月三日、検査したが反訴原告に何ら異常が認められないとの理由で、一旦は治療中止の判断を下したが(野見医師)、ほどなく治療を再開し(宮淵医師)、結局、同五八年一一月二四日から同六〇年一月二四日までの間、治療実日数は延べ約九六日に及ぶ治療を行つて、最後は、反訴原告が同病院へ通院しなくなつたために治療中止となつた。

なお、川口市民病院は同五九年四月二八日に、反訴原告が同月二九日から翌五月七日まで温泉療法を行うについて、その適用がある旨を診断し、反訴原告も、同年四月二九日から同年五月九日までの間、山梨県下部温泉の大村屋旅館に一〇泊し、温泉治療を行つている。

(4) 反訴原告は、同六〇年二月二日から埼玉県済生会川口総合病院(以下「川口総合病院」という。)を訪れ、以後、同六一年一一月末ころまでは二週間に約一回の割合で、その後同六二年六月二六日までは月一回の割合でそれぞれ通院し、治療を受けるようになつた。

反訴原告が主張するとおり、同年一一月二一日、同月二八日、同月三〇日にもそれぞれ通院し、治療を受けている。

(5) 反訴原告は、本件事故後まもなくして、川口市の中山治療院で継続してマツサージを受けはじめ、同六二年三月ころからは水泳クラブにも入会し、それぞれ、現在まで継続してきている。

(二)  反訴原告の愁訴の内容と診断結果

(1) 反訴原告は、斎藤病院に入院した当初、頭痛、項部痛、吐き気を訴えたが、レントゲン検査で特に異常はみられず、意識は清明で、中枢神経系の障害はなかつた。そして、斎藤病院では、反訴原告の右上腕及び頸神経六~八域に運動の弱さがあると診て、反訴原告を、頸椎捻挫、腰椎捻挫、後頭部打撲、左肩から前腕部の打撲があると診断し、約二週間の加療を要する見込みであるとしている。

反訴原告は斎藤病院に入院して、肩痛、胸痛があつたりなかつたり、しびれが出たり出なかつたりの状態が続いていたが、一一月に入るころからは訴えもなくなり、症状にも特に変化のない状態が多く見られるようになつた。

反訴原告の退院時に行われた脳波検査でも特に異常はなかつたが、反訴原告になお頭痛、頸部痛が見られるため、反訴原告に、当分の間、自宅で安静にするように指示し、家政婦の介補を適当と認める旨の診断をしている。

(2) 反訴原告は、川口市民病院に通院すると、項部痛、下背部痛、左胸鎖乳突筋圧痛、肩の硬直を訴えるようになり、実際にも、頸、項部、後頭部、下背部、腰部に圧痛が認められるようになつていた。川口市民病院では、頸部、腰部のレントゲン検査等を行つて、反訴原告を、頸椎捻挫、腰椎捻挫と診断し、その症状は家事等に支障がある旨を認める診断を下している。

なお、前記山森医師もまた、反訴原告を、頸椎捻挫、腰椎捻挫である旨診断している。

(3) 反訴原告は川口市民病院に週に二度ほどの割合で通院して、治療を受けるようになつたが、愁訴の内容は徐々に異なつてきて、同五九年二月の時点では、伸展時の頸部痛、動作時の腰痛、朝の手のこわばり、握力低下等が訴えられるようになつている。そして、同年三月中旬頃には自律神経症状も見られるようになつて、精神神経用剤が用いられる事実が注目される他、同月下旬には項部痛、後頭部痛の他に、耳の閉塞感を訴えるようにもなつた。

そこで、同病院では、反訴原告に脳外科の検査を受けさせた他、ホツトパツク、矯正マツサージ、牽引治療を継続して続け、また温泉療法を実施したが、なお、その後もまた、頸部痛と手の軽い疼痛とが続いている旨の訴えが続き、川口市民病院では反訴原告に対し、理療と投薬療法とを継続して実施した。川口市民病院の最終診断名は、頸椎捻挫、腰椎捻挫である。

(4) 川口総合病院に通院するようになつて、反訴原告は、当初、頭痛、両側眼痛、両側項頸肩部痛、右上肢の脱力感、右眼の流涙、思考力低下を訴えた。他覚的には、両側項頸肩部の筋硬直と圧痛、右後頭神経、右胸鎖乳突筋の圧痛著明であつて、レントゲン検査では正面像で右斜頸位、側面像では生理的湾曲の消失が見られたものの、耳鼻科的平衡機能検査、脳波検査などでは異常が見られなかつた。その結果、単なる頸椎捻挫ではなく、バレールー症候群と大後頭三叉神経症候群の二つが絡み合つた状態であると診断され、消炎剤、筋弛緩剤、安定剤の投薬と、ブロツク注射を主体にした治療が続けられている。

川口総合病院になつてからの症状で、新たなものとしては、眩しさを訴えるようになつていることと、睡眠障害があると訴えるようになつている点であるが、そのような症状を含め、反訴原告の症状は昭和六〇年八月ころから徐々に改善傾向を示すようになつている。

(5) 川口総合病院で反訴原告の治療を担当した尾原義悦医師は、事故後二年を経過してなお症状が残つている場合には症状固定と考えたいとの一般論を述べたうえで、反訴原告は、昭和六〇年一二月末の時点で、まだ眩しさを訴え、頭痛や項部痛などの症状を残しているものの、症状は全体として改善してきており、同六一年二月以降は投薬を受けながらであれば、軽い労働も可能であつた旨述べて、同六〇年一二月末の時点で後遺症の認定が可能であるとの判断をしている。

(6) なお、反訴原告の症状は、昭和六一年一二月の時点で、反訴原告の項から肩にかけての硬直が見られたが、他の症状は何ら見られなくなつている。

2  反訴原告の症状やその治療経過等は以上のようなものであることが認められる。

その中には、反訴原告が斎藤病院の指示に従つた治療を受けておらないこと、転院は病院との相談の結果ではなく反訴原告の一方的な判断によつて行われていること、しかも転院のたびごとに反訴原告の愁訴内容が異なり、また症状も悪化してきていること、そのようなことから反訴原告の症状が心因性によるものではないかと疑われ、実際に川口市民病院で一旦治療が中止されていることなど、多くの問題があることを指摘できないわけのものではないが、しかし、反訴原告が本件交通事故によつて、頸椎捻挫、腰椎捻挫等の傷害を負つたことには間違いなく、また、その後に生じている右症状の内容というのも、それが心因性による部分がまつたくないとまで言うことはできないにしても、本件事故との相当因果関係を否定できるほどまでのものではないと認めるのが相当である。

問題は、症状の固定時期を何時と認定するかであるが、右のような反訴原告の症状とその治療の経過等をもとに検討を加え、さらには、実際に反訴原告の治療にあたつてこられた尾原医師の右判断を不相当とするような特別の事情はみられないことにてらして、反訴原告の症状が固定した時期は、昭和六〇年一二月末と認めるのが相当であり、他に右認定を左右するに足りる事情はない。

三  損害について

1  治療費について

反訴原告が、昭和六二年一一月二一日、同月二八日及び同月三〇日の三度にわたり、川口総合病院で前記症状に対する治療を受けたことは、前判示のとおりであり、成立につき当事者間に争いのない乙第一九号証の一ないし三及び反訴原告本人尋問の結果によると、その治療費は合計で六四九〇円を要したことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

なお、右通院は前判示した症状固定時より後のことであるが、症状が固定したからといつてその後の通院治療が不要になるものではなく、その治療費が別の損害項目で填補されているというものでもないから、支払義務は免れない。

2  マツサージ費用

反訴原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認める乙第二一号証の一ないし一九、第二七号証の一ないし一〇、同本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、反訴原告は、昭和五八年一二月六日から定期的に、川口市前川の中山治療院でマツサージ治療を受けるようになり、昭和五八年一二月六日以後だけで四八二万六六〇〇円を支払つている事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

しかし、昭和五八年一二月六日以後の右マツサージ治療というのが、医師の指示によるものであるとの証拠はなく、また、同治療が是非とも必要であつたとの事情もみあたらないことからすれば、右マツサージ費用を、本件不法行為と相当因果関係ある損害とすることはできない。

3  温泉治療費

川口市民病院は同五九年四月二八日、反訴原告が同月二九日から翌五月七日まで温泉療法を行うについて、その適用がある旨を診断し、反訴原告も、同年四月二九日から同年五月九日まで、山梨県下部温泉の大村屋旅館に一〇泊して、温泉治療を行つていることは前判示のとおりである。そして、反訴原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認める乙第二六号証及び同結果では、反訴原告はその費用(ただし電話代等治療に関係しないものを除く)として一〇万三〇九〇円を要したことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

すると、この点についての反訴原告の主張は、右費用の八日分の八万二四七二円から既払額五万円を控除した三万二四七二円の支払いを求める限度で理由があり、反訴被告は、温泉治療費の未払分として同金額を支払うべきである。

4  水泳治療による入会金、会費

反訴原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認める乙第二四、第二五号証及び同本人尋問の結果とによると、原告が水泳クラブに入会したのは、尾原医師から「無理のない程度にスポーツをやつて、身体を動かしなさい」と言われたからであつて、昭和六二年三月に入会してから現在まで継続して参加している事実が認められ、他に右認定に反する証拠はないが、しかし、右入会を勧めた時期とか、その勧め方などからすると健康維持の一般的な指示をしたにとどまり、本件の症状に対する医療的な措置として指示されたものではないと解するのが相当である。

よつて、これら費用を、本件不法行為と相当因果関係ある損害と認めることはできない。

5  家政婦代

反訴原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認める乙第二三号証の一、二及び同本人尋問の結果によると、反訴原告本人は、昭和六一年八月一七日から同年九月末日まで、家政婦として辛島昭子を雇い四八万九三七五円を支出していること、また翌一〇月一日から同年一二月末日まで家政婦として渡辺貞子を雇い一五万円を支払つていることが各認められ、他に右認定に反する証拠はない。

しかし、前判示の反訴原告の症状にてらしても、反訴原告がその当時において、家政婦を必要とするほどの状態であつたかどうかはなお疑問であり、他にその必要性について特別これを裏付けるだけの証拠もないことからすれば、これも相当因果関係ある損害と認めることはできない。

6  休業補償

反訴原告は、同本人尋問の中で、本件交通事故前は、露天商で、経理事務、雑用、縁日の手伝い等をして働き、月給四〇万円をもらつてした旨供述し、さらに、柴田昭夫作成の昭和五八年八月から一〇月まで毎月三九万円の割合による給与を支払つていた旨の休業損害証明書(乙第二二号証)を提出しているが、しかし、税務処理上の証書類等その裏付けとなる証拠はなく、かつ、症状が軽快してのちにその職に戻つていないことなどを考慮すると、反訴原告において継続的に右給与を得ていたと認めるには証拠が充分ではないとするのが相当であつて、他にこれを認めるに足りる証拠もない。

そこで、反訴原告についての休業補償額は、昭和五八年度賃金センサスの平均給与額表の女子労働者の四五~四九才の年間給与額二一四万五七〇〇円をもとに算定することとし、休業期間を、本件交通事故日の昭和五八年一〇月一六日から前判示した症状固定日である同六〇年一二月末日までとして、計算すると、その間の逸失利益の合計は四七四万四〇五四円である。

そして、反訴原告が右休業補償に対する支払いとして右金額以上のものを受け取つていることは、反訴原告自身の自認するところであるから、結局、反訴原告の休業補償の追加支払いを求める部分は理由がない。

7  後遺症による逸失利益

反訴原告の症状は昭和六〇年一二月末時点で固定し、反訴原告は、その時点で、眩しさや、頭痛、項部痛などの後遺症が残つていることは前判示のとおりである。そして、その程度について一四級一〇級であることは当事者間に争いのないところであるから、少なくとも原告主張の五パーセントの程度の逸失があつたとするのが相当であり、その逸失期間は、前判示の症状の推移、治療の経過等にてらして二年間に限定するのが相当である。

そこで、症状が固定した翌昭和六一年度賃金センサスの平均給与額表の女子労働者の四五~四九才の年間給与額二五〇万一九〇〇円をもとにして、年間五パーセントの逸失利益を算定し、その間の中間利息をライプニツツ係数を使つて控除すると、その額は二二万七九二三円と認められる。

8  慰謝料

反訴原告の受傷内容、その後の入通院を含めた治療経過、後遺症の程度及び本件交通事故の態様等、諸般の事情を考慮すると、反訴被告は、傷害による慰謝料として一二〇万円、また後遺症による慰謝料として七五万円を支払うのが相当である。

9  弁護士費用

本件訴訟の経緯や認容額等、諸般の事情を考慮すると、反訴原告が訴訟代理人に支払いを約したもののうちの一〇万円をもつて、本件交通事故との相当因果関係ある損害と認めるのが、相当である。

四  結論

よつて、反訴原告の本訴請求は、理由三の1、3、7、8、9で各認められた損害金合計額二三一万六八八五円と、これから弁護士費用(理由三9)の一〇万円を控除した金額に対する不法行為の日の昭和五八年一〇月一六日から右支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、その限度で認容し、その余は理由がないから棄却し、反訴費用につき民事訴訟法八九条、九二条を、主文第一項についての仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 上原裕之)

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